東京地裁判決の不当性を、憲法の観点から批判した見解を紹介します
JAL不当解雇撤回福岡支援共闘会議代表の石村善治先生(福岡大学名誉教授 憲法学)は、東京地裁判決の不当性を、憲法の観点から批判した見解を提示していたので、以下に紹介します。
東京地方裁判所は、日本航空客室乗務員並びに運航乗務員の地位確認等の訴えに対して、請求を棄却した。二つの判決を読み、これらの判決に反対する。とくに、憲法の視点から、次の諸点を指摘したい。
(1)判決、並びに再建団体としての被告「日本航空」には、「企業」を「人間集団」としてではなく、「営利集団」として見る傾向が極めて濃厚に見られる。企業内の労働者の権利が、ほぼ完全に無視されているといってもよい。
判決(2012.3.30:原告=客室乗務員。被告=日本航空)は次のように云う。「更生計画上の人員削減の必要性の不存在について・・・・(会社更生手続 きの)究極の目的は、被告(日本航空)の担う航空事業の持続と安定とにあった(いわば、一度沈んだ船である被告が二度と沈まないようにすること)というべきものである」と。
そして、さらに続けて、「このような目的の達成のために、被告においては、事業計画の見直しが急務とされ、(企業再生支援)機構をはじめとして主要行などの利害関係人の意見も踏まえつつ上記計画が策定されたことは、上記で認定したとおりであり、当該計画の主眼は飽くまで事業規模の縮小による経営体制の維持、強化にあったというべきであって、コストの削減による利益確保が主眼であったわけではないと解するのが相当である。」と述べる。主眼は、「事業規模の縮小による経営体制の維持、強化」であり、「二度と沈まない」ためであると明確に述べる。
ここで象徴的に語られているように、「更生」の対象は、まさに、「船」=「組織」であり、「乗員」=「人」ではない。この「二度と沈まない船」の「たとえ」は、この判決では「総合評価(まとめ)」でも繰り返されている(90ページ)。
ここからは、労働者の権利=人権は尊重どころか、顧慮さへもない。両判決は、憲法上の「労働者の権利」(第27条1項)及び「団結権」(第28条)の保障について、何ら積極的な評価を加えていない。
(2)「労働者」より「事業」と云いながら、一方では、高度技術の企業としての「航空事業」の自覚が希薄であり、高度の技術者としての「パイロット」およびその補助者としての「客室乗務員」の「資質・能力」を軽視している点を指摘したい。
高度技術社会における「人間の権利」・「労働者の権利」の問題は、本件航空事業だけでなく、現代の高度の技術産業(例えば電気通信事業等)における技術労働者の「権利」、さらには、一般的には「派遣労働の禁止」にも及ぶ大きな問題を提起している。
日本国憲法第12条は、 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の努力によって、これを保持しなければならない。」と定め、さらに、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」としている。ここにいう「公共の福祉のための権利の利用責任」は、諸個人の持つ「権利」を、個人が単に「保持」するだけでなく、個人並びに国が積極的に「公共の福祉」のために「行使」、「利用」することを意味している。憲法は、諸個人の人格・知識・識見の中に「権利」として蓄積されたものを、いわば社会に還元する「責任」を、個人ならびに国と社会に課していると解される。このような「権利」と対象となる「責任」の根拠の一つは、特に知識に
基づく「権利」の長期にわたる「教育」の成果であり、このことは、日本国憲法の「義務教育の無償」、欧州諸国に見られる「高等教育の無償化」にも示されている。
「権利」とくに、「高度の知識に基づく権利」の個人並びに社会の「利用責任」は、現在の高度技術社会においては、きわめて、重要であり、 憲法第12条の「権利」の「責任」は、個人の「社会的利用責任」及び「国」乃至「社会」の「社会的利用責任」として、航空事業においても、憲法上の「責任」と考えるべきであろう。被告「日本航空」並びに両判決には、この視点が欠けており、「年齢」等の「自然的条件」・「員数」としてしか取り扱われていない。航空事業という高度技術産業であり、他の高度技術産業における「範例」としても、不当・不幸な「判決」と評さざるをえない。
(3) 日本有数の大労働組合への弱体化=大量解雇の判決による承認は、日本全体の労働運動・労働組合活動に対する決定的な打撃になることは云うまでもない。その意味からも、この日航整理解雇事件は、単に、個別企業労働組合の「団結権」侵害に止まらず、全日本の労働者・労働組合の団結権の決定的な侵害、壊滅的破壊につながる事件であるといっても過言ではない。
(4)本件裁判の基本的争点である、「整理解雇・権利濫用の法理」について、被告側は、全面的に否認したが、両判決は、一応の検討を加え、結論としては、「権利の濫用」を否定した。しかし、此の判決に見られる、「人員削減の必要性に関する」 判断のなかでの稲盛会長の発言とそれに対する裁判所の判断は、「法理」を無視した裁判官の「心情吐露」としか云いようのないものであり、不快の念を持たざるを得なかった。
判決は、次のように結論する。
「被告は、本件解雇を行うに当たり、解雇対象者の理解を得るように努めていて、整理解雇が信義上許されないと評価するだけの事情が認められないから、本件解雇は、管財人が有する権限を濫用したものとは認められないという結論になる」と。
判決は、「原告らが稲盛発言を根拠として人員削減の必要性の欠如を主張することも、理解することができないものではない」と原告の主張をやや肯定的にふれる。しかし、続けて「しかしながら、稲盛発言全体をみた場合、その文脈からは、必ずしも人員削減の必要性の欠如を認めているわけではなく、かえって、本件更生計画の実行は、多大な犠牲を払った金融機関をはじめとする債権者等、各種の利害関係人に対する社会的義務であって、本件解雇がやむを得なかった趣旨を述べているということができるし、整理解雇による被解雇者を残すことが経営上不可能ではなかった旨の発言は、短期的に、その当時の被告の営業利益をもってすれば、被解雇者の人件費の支出が不可能ではなかった事実を発言しているにとどまり、本件更生計画及びその基礎となる本件新事業更生計画に基づく事業規模 縮小の合理性を否定したり、将来の事業規模の拡大に伴う必要稼働数の増加等に言及したりするものではないということができる」と述べる。
そして、結論として、「そうだとすると、稲盛発言は、これまで従業員を解雇せずに企業経営をしてきた同人が、被告の経営の一翼を担う立場にある者の苦渋の決断としてやむなく整理解雇を選択せざるを得なかったことに対する主観的心情を吐露したにすぎないものと評価するのが相当であって、前提事実及び上記アの認定事実において指摘した客観的状況に照らせば、稲盛発言があったことをもって、人員削減の必要性を否定することはできないというべきである。」という。
ここには、法律的な事実確認や理論ではなく、単なる「心情論」にすぎない。このような審理が法的に認められるわけはない。
むすび
以上の諸点から、日本国憲法27条1項の「勤労の権利」第28条「勤労者の団結権」、第12条「基本的人権の利用責任」、そして、空の安全を含む第25条1項の「生存権」を基盤にした綿密な事実確認と法律的判断を、控訴裁判所に要求したい。そして、同時に、日本だけでなく、空の安全と人権の確保を望む世界の人々の意思が貫かれることを望む。